2015.03.30
プレスリリース
THD26-004号
平成27年3月30日
株式会社立飛ホールディングス
立飛プレスリリース
(立飛グループ90周年記念事業) イベント開催のご案内と松本零士氏によるイラスト作成について
1. 希少飛行機の一般公開とトークイベント開催
飛ぶ跳ぶ翔るプロジェクト第一弾
『オープンファクトリー2015 春』
1924年(大正13年)の創立以来、立川地域のものづくりの歴史を紡いできた、立飛グループは昨年90周年を迎えました。地域の発展に貢献し更なる歴史を立川と共に歩んでゆくために、皆さまに向け、「飛ぶ跳ぶ翔るプロジェクト第一弾『オープンファクトリー2015 春』」と題したイベントを開催いたします。第一回目となる今回は、ものづくりの歴史の原点であった飛行機をクローズアップし、昨年に続き希少飛行機の一般公開とトークイベントを開催。飛行機に造詣の深い漫画家・松本零士氏、飛行機開発メーカー代表取締役・四戸哲氏が、立川と飛行機の歴史について語ります。
松本氏が90周年を記念して描かれた飛行機画の贈呈式やクイズラリーなど、ご家族でお楽しみ頂けます。
■トークイベント 松本零士(漫画家)/四戸 哲(オリンポス代表取締役)
(定員:100名 事前申し込みによる抽選 ※詳細チラシPDFをご覧ください)
■飛行機一般公開 R-53(戦後の国産飛行機第一号の改良機)※修復機
R-HM(フランス人技師アンリ・ミニエ氏設計による軽飛行機)※修復機
ソーラープレーンSP-1(太陽光のエネルギーを使って飛行する有人ソーラー
飛行機)
(申込不要)
■クイズラリー参加者にオリジナルノベルティプレゼント(先着順)
■入場無料
日時:2015年4月25日(土)、26日(日)11:00~17:00(受付16:00まで)
トークイベント 26日(日)15:00~16:10(開場 14:30)
場所:立飛リアルエステート南地区12号棟 他(立川市高松町一丁目100番地)
立川駅より徒歩13分/多摩モノレール線高松駅より徒歩5分
主催:株式会社立飛ホールディングス
企画:森ビル株式会社 メディア企画部
松本 零士 プロフィール
漫画家
1938年生まれ。SF漫画作家として『銀河鉄道999』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』など多数のヒット作を生み出した他、様々なジャンルの漫画、アニメ制作に関わり、1970年代半ばから1980年代にかけては松本アニメブームを巻き起こした。2001年には紫綬褒章、2010年には旭日小綬章を受章。教育面においては宝塚大学教授、京都産業大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授を歴任。
四戸 哲 プロフィール
有限会社オリンポス代表取締役
1961年生まれ。日本唯一の独立系飛行機開発メーカー専業として様々な飛行機製造に取組む。立川飛行機が製作した長距離機A-26の設計主任、木村秀政氏は恩師にして会社創立時の顧問。日本初となる有人ソーラー飛行計画の他、現在立飛ホールディングスと95式練習機「赤トンボ」の復元も進行中。東京・青梅市の本社兼工房は、ものづくりへの夢と情熱に溢れ、飛行機に魅了された技術者や学生たちが集う場となっている。
『飛ぶ 跳ぶ 翔(かけ)る』プロジェクトとは 立川という地で長年活動してきた立飛グループが、創立90周年を機に立川の未来を地域の皆様とともに考え、活動し、発信していく一連のプロジェクトです。 |
2. 松本零士氏による「赤トンボ」「A-26」イラスト作成
90年前、私たちは、空に憧れ、起業いたしました。
昔も今も、空を飛ぶことは夢を語ることだと考えています。
この度立飛グループの創立90周年を記念して、子供たち、そしてかつて子供だった大人たちに対して空を飛ぶという夢を描き語り続けた漫画家の松本零士氏に、私たちが大空への夢を託した2機の飛行機を描いていただきました。
描いていただいたのは立飛がかつて製造した飛行機「赤トンボ」(95式1型乙練習機)と「A-26」(キ77 )の2機です。
「赤トンボ」は練習機として活躍し、「A-26」はより遠くへ飛ぶことを夢見て、東京からニューヨークまで無着陸で飛ぶことを目指して開発されました。
この2機を描くにあたっては、松本氏と構図についても議論を重ね、日本人の空への憧れを、それぞれが富士山の近くを飛ぶというかたちで表現していただきました。
立飛グループの創立90周年を記念し、先人の思いから未来を語る『飛ぶ、跳ぶ、翔る』プロジェクトの象徴である2枚の絵は、『オープンファクトリー2015 春』におけるトークイベントの贈呈式にて披露されます。
赤トンボ(95式1型乙練習機)(製作機数 2,398機)
95式1型乙練習機は、1934年(昭和9年)陸軍から指令を受け株式会社石川島飛行機製作所(後の立川飛行機株式会社)により開発された練習機で、立川飛行機株式会社の礎を築いた記念碑的な名機です。当初一種類の機体で、初歩練習にも中間練習にも使える新型練習機を目指し開発されましたが、最終的に中間練習機としての機能に特化し1935年(昭和10年)に実用化されたのが本機95式1型乙練習機です。飛行特性が優れた練習機として陸軍飛行学校で広く使用され、その鮮やかな橙色の塗装から「赤トンボ」の愛称で親しまれました。「赤トンボ」の愛称を持つ機種は他にもありますが、小型で愛嬌のある形から特に人気が高く、多くの操縦者を育てた実績は高く評価されています。
A-26(キ77)(製作機数 2機)
日本紀元2600年にあたる1940年(昭和15年)、その記念事業として朝日新聞社が「東京―ニューヨーク間無着陸親善飛行」を計画。その実現を目指し開発されたのが超長距離飛行機A-26(キ77)です(A-26の「A」は朝日新聞、「26」は紀元2600年の略)。しかし、太平洋戦争が始まり計画は放棄され、かわって日本―ドイツ間の無着陸連絡飛行計画に利用されます。しかしながら2号機は1943年(昭和18年)ドイツへ向けてシンガポールを出発したあと連絡をたち、その消息は現在まで不明です。その後1944年(昭和19年)に1号機により満州において世界記録を目指す長距離周回飛行がおこなわれ、戦時で非公認ながら16,435kmの世界記録を出し、長くその記録は破られませんでした。
【赤トンボ 復元プロジェクト】
現在、2018年の完成を目指し、株式会社オリンポス代表の四戸哲氏指揮のもと、飛行可能な「赤トンボ」の再製作(レプリカ製作)に取組んでいます。完成の暁には展示、飛行を公開する予定です。
以上
■本件に関するお問い合わせ先
株式会社立飛ホールディングス
担当:財務広報企画部 取締役部長 美馬 愼一郎
TEL:042-536-1111 FAX:042-536-0061
E-mail:mima@tachihi.co.jp